中仙道その10(2007.11.3)

下諏訪から岡谷まで歩きました。下諏訪は、甲州街道と中山道の合流点。春宮では、ちょうどお祭りと七五三でにぎわっていました。おこわ、お饅頭など手作りの品や収穫した野菜を売っている屋台なども出ていて、楽しい旅でした。1本100円の大根がとてもおいしそうでした。七味ではなく、八味唐辛子を買いました。山椒の香りがとてもよかった。歩いていると、ちょうど干し柿にする渋柿の取り入れの時期のようで、あちこちのお宅で息子さんが手伝って取り入れているのが、暖かな土地柄を思わせました。途中、樹齢60年のりんごの木のある農家(こんな街中にリンゴ園?)を発見。おいしそうなりんごが納屋に積んであり、持って帰れるのはたいへんなので、送ってもらうことにしました。その後、岡谷付近で、しま瓜の粕漬けを製造販売しているお店をみつけ、ここでも、注文して送ってもらうことに。岡谷の街では、センスのよいブティックをのぞいたり、今回の街道を行く・・は、いつもと雰囲気の違うのんびり旅になりました。

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岡谷には、武井武雄の絵本美術館「イルフ童画館」があります。街の雰囲気も童画館のイメージに沿ったレイアウトで、岡谷はなかなかよい街でした。イルフ童画館で展示をゆっくり鑑賞して帰路に着きました。

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中仙道その9(2007.8.27~28)

今回は、いよいよ碓氷峠越えです。横川の標高が400m、碓氷峠頂上熊野神社の標高が1200m、標高差800m、60歳を越えつつある私たちには結構プレッシャー!我が家の次女をサポートに加えて今回は5人で、行きました。
出発を朝早い時間にするために、前日から、軽井沢に行くことにしました。そこで、富岡製糸工場に寄り道しました。高崎から、上信電鉄で、上州富岡駅下車。2両編成のカラフルな電車でした。(ローカル線の旅もあり)。製糸工場といえば、女工哀史という言葉が浮かんでくるのですが、イメージとは違って女性のための教育施設など整った工場でした。風格あるレンガつくりの建物は、世界遺産登録申請中。木の骨組みにフランス積みでレンガを積むという和洋折衷の工法で作られたそうです。先人の技術力に関心しきり。070827001

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モダンな避雷針070827005_2 070827006

さて、翌日、いよいよ碓氷峠越え。越えるとはいえ、せっかく軽井沢に宿泊したということもあって、横川まで下ることにしました。熊野神社までは、標高差300mの登り。つるやの前を通って、山道を登りました。
かなりの山道で、草を掻き分けて歩くようなところもあり、人が歩かなくなると道は消えていくものだということを実感。年に一度?安中からの侍マラソンというのがあるそうで、案内標識が道しるべとなり助かりました。途中、リゾート開発の残骸のような廃屋(別荘なのか、ペンションなのか)朽ちたバスや、車が捨ててあり、なんとも気味悪い感じの場所が数箇所ありました。中山道は、明治までは、まだ、生きていた街道で途中の刎石茶屋跡には4軒の茶屋があり、小学校もあったそうで、人の往来が多かったことを物語っています。今年は、地球温暖化の影響か、山ヒルが大発生。峠を降りて、バス停で一息。靴の紐を緩めたら、足首にヒルがついていて大騒ぎ!さされていました。ヒルは、血を吸うために、血液が止まらなくする液を出すそうで、なかなか血が止まらず、傷口が消えるのに1ヶ月もかかりました。

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碓氷峠の旧鉄道トンネルを覗いて、坂本宿へ。宿場の町並みが残っています。関所跡の前を通って横川へ。暑い夏の峠越えは、結構大変でした。

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中仙道その8 (2007.7.17)

安中から松井田まで
今回は、参加者7名。本当は、月曜日はお休みのなのですが、お願いしてあった安中教会を見学できることになり、楽しみに出かけました。

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安中の駅を下りると、まず目に入るのは、カドミウム汚染の原因企業の東邦亜鉛の工場。

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安中というと公害しか思い浮かばなかったのですが、古くからの中仙道の宿場であり、安中藩士で、キリスト教の布教家、新島譲の実家があるところ。大谷石で作られた安中教会は、1919年(大正8年)、帝国ホテルの5年前に建築されたものです。新島譲没後30年を記念して、湯浅治郎(有田屋さん:醤油製造)の尽力によって建てられた教会です。五味牧師が、教会の沿革など、建物についての細かな説明をしてくださいました。この日はお天気もよく、とても暑かったのですが、内部は、涼しく、小川三知作のステンドグラス、新島譲やこの教会に尽力した人々の肖像画が飾られていて、一見、カトリック教会を思わせるつくりになっています。1階部分に使われている木材はカナダから取り寄せたものだそうです。この日、ちょうど、柏崎でおきた中越沖地震に遭遇して、そのとき教会の中にいたのですが、震度4くらいのゆれを感じました。ちょっとびっくりしましたが、建物はびくともしませんでした。大谷石で作られているのですが、要所に御影石を使って、大谷石のもろさを補っているそうです。

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その後、安中市内へ。今回の参加者Mさんの友人でもある有田屋さんの奥様のご好意で、休日にもかかわらず、工場の中をちょっと拝見させていただきました。そして、息子さんが開発されたという絶品のお醤油:復刻版フコク醤油をお土産にいただいて、松井田まで、がんばって歩きました。安中は城下町だけあって、古い立派な家並みがそこかしこに残っています。杉並木もありましたが、ほんのちょっとの距離でした。西松井田まではちょっと遠いので、本日は松井田までということで。次回の碓氷峠超えにつなげることにしました。

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中仙道その7 (2007.5.3)

高崎から新町まで。

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本当は、新町から歩く予定だったのですが、私が時刻表を見誤ってしまったため、大宮で乗る予定の電車がなく、新幹線で高崎に出て、逆向きにあることになってしまいました。
逆に歩くというのは、結構わかりにくいもので、道は上方に向かって作られているのを実感。そんなこんなで写真の数が少ないのです。とはいえ、本陣、脇本陣、高札場のあとは、ちゃんとチェックしました。

途中、中仙道(江戸へ)と日光街道(例弊紙街道)の分岐点を抜けると新町まで、川沿いの土手を、久しぶりに黙々と歩きました。このところ、結構のんびりムードで歩いていたので、川風に吹かれながら、本当に黙々とあるいて、今日一日で3万歩近く。

さて、新町に入ると洋品屋さんのガラス戸に「世界遺産」のポスター。これはなんだろうとたずねてみると、この町は、絹糸紡績の発祥の地、カネボウフーズの新町工場内に、「新町屑糸紡績所」(煉瓦つくりの倉庫と木造の工場)があるそうで、世界遺産に登録を・・・という運動が起きているそうです。最近、いろんなところで世界遺産申請の運動をおきているようですが、どうなんでしょうか?この洋品屋さんのおばさんは、大きい工場だけど、ぼろぼろだよ・・・と・・・残念ながら、時間がないので、工場見学はあきらめて帰路につきました

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中仙道その6 (2007.3.21)

深谷から本庄まで

Fukaya1Fukaya2 深谷は、レンガの町:渋沢栄一生誕の地。レンガ造りに適した粘り気のある土を生かして日本煉瓦製造会社を創設。・・・と駅に書いてありました。いまでも、煉瓦を生産しているそうです。そんな町ですから、煉瓦つくりの家や建物がたくさんあります。駅舎は、東京駅を模して、煉瓦つくり風のようですが、新しいものです。

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途中、3階建の変わった倉庫を見つけました。扉をたたいてみると中から人の声、ここで、ライブをやるという若者たちが準備作業中でした。中を見せてほしいという要望に、快く応えてくれて、「こんなところ見たいという物好きな人もいるんだね」と。この建物は、金物製造のお店の倉庫だったらしく、むかし、よく見かけた空気抜きの煙突の先についていたカラカラと音を立てて回る飾りがおいてありました。2階、3階は、出荷するはずだったのが、やめになったのか、包み途中のものなど、使わなくなって、ほおりっぱなしの品がたくさんおいてありました。

ちょうどお彼岸の中日だったので、お菓子やさんは、お供物を買う人たちで行列、ちょっと興味をそそられた翁最中は、残念ながら買えませんでした。(私は、大の最中好き)

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Fukaya11 百庚申: 万延元年(1860年)桜田門外の変のあった年に作られた

本庄駅近くに、旧本庄警察署(本庄市歴史民族資料館)があるので、覗いてみたところ、壁の塗り替え作業中で、休館。作業している人に声をかけたら、「鍵は開いているから、中を見てきてもいいよ・・・」とご親切に言ってくださったので、そこは遠慮のない旅人、しっかり館内を見学してきました。
ここは、田村本陣跡で、門だけが残っています。(工事中だったので写真はなし)

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中仙道その5

やっと、写真を整理して、中仙道の続きです。2005年夏から、毎年恒例の夏の軽井沢、これは、2006年夏の旅です。もう一年の前のことになってしまい、ずいぶん、サボっていたことに、改めて反省。思い出しつつ、綴ってみます。 1日目は、ちょっとリッチな朝食を食べて、テニス、
TennisChosyoku





2Odai2Miyota1Odai3Miyota2日目は、軽井沢・追分の先、御代田→小田井から岩村田まで歩きました。





浅間山を見上げながら、小田井宿へ、途中、Odai5Odai4馬頭観音のある立派なOdai6お寺があり、お庭もなかなかなものでした。小田井宿には、尾台家という問屋跡の立派なお屋敷や、住宅などが残っています。Odai
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皎月原といって実は白山大権現だった皎月という女の人が,白い馬に乗って遊んでいた史跡や小田井の一里塚
も残っています。

OminaesiRingo途中、りんご畑では、たくさんのりんごがなっていて、売店などもあります。女郎花もきれいでした。



暑かったのですが、山並みを眺めながら、田舎道を岩村田まで、歩きました。Tree RyuunjiYamanami_1 Miti_1




岩村田から、小海線で小諸まで行き、しなの鉄道に乗って軽井沢に戻りました。ローカル線に乗れて、なかなかの旅でした。今年も
8月末。碓氷峠を越える予定です。

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無患樹のはなし

5月の中仙道を歩いたときに、昼食のため、立ち寄った鴻巣の多聞寺の庭に樹齢200年の無患樹がありました。実は、葡萄のような房になって高い枝に下がっていました。
多聞寺の木は、見上げるような大木でした。ちょっと調べてみました。

◇無患子・無患樹・木患子、子が患うことの無い樹の意味です。
学名のSapindus:ムクロジ科は「インドの石鹸」の意味で、ムクロジの果皮に約10%の化学物質サポニンが含まれ水に溶けると泡立ちがよい。
平安の昔は当時としては灯明の煤でも汚れもよく洗い落とすところから、石鹸として洗濯や洗髪に用いられて、平安時代の公家屋敷には多く植えられていたようです。

◇無患樹の句
(沖 ななも)人間(ひと)ならば無愛想なる姿にて樹齢二百年の無患樹 
(斎藤 茂吉)無患樹の黒き木の実を外隠しに幾つか入れてわれ去らむとす

無患樹の実をあけてみると黒い種があり、まさに羽根つきの羽根の根元に使われているあの実です。Mukurozi2 Mukurozi4 Mukurozi5

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中仙道その4

ちょっと古い先月の連休の話です。
5月3日、今回は、桶川から鴻巣まで10kmくらい歩きました。
桶川宿: 中仙道6番目の宿場。紅花の名産地であり、農産物の集散地としても栄えた。古い家並みや本陣跡、宿場の木戸などが残っている
多聞寺で昼食。ここには、樹齢200年の無患樹(むくろじ)がある。この木の実は、皮の部分は石鹸として使える。これを使って手を洗ってみると泡が出て、洗った後、手がすべすべになった。中の種は、羽根つきの羽根の根元に使われているあの黒い実でした。

鴻巣宿: 人形の町。雛人形、五月人形のお店が軒を連ねている。

お天気もよく、歩くにはとてもよい日でした。

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古い民家の中、太い柱と階段箪笥が黒光りしていました。

本陣跡 Okegawa7  Okegawa8 Kido                     宿場の木戸跡 Tamonji   多聞寺




無患樹の石碑        鴻巣の入り口 MikuroziOkegawa10

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中仙道その3

syakuji1syakuji2 (写真をクリックしてみてください。満開の桜です)

板橋宿から戸田橋を渡って、蕨宿まで14kmくらい歩きました。
石神井川の両側は、1000本近い桜が植えられています。今が見頃。とてもきれいでした。ここの桜の木は一抱えもある太さなのに、どの木も元気そうでした。川の水の近くと言うことと、車が通らない場所なので、排気ガスの影響を受けないからでしょうか?
kagaこの辺は、加賀藩の下屋敷後で、石神井川の水を引いた大きな池を囲んで19万㎡もある敷地に屋敷があったそうです。今の町名も加賀町でした。

kouen 小豆沢(あずさわと読みます)の公園では、春休みの中学生が野球の練習に励んでいました。みんなまじめそうで、まだまだ日本も捨てたもんではないと、ちょっと安心。(日本野球世界一の影響で部員が増えるといいですね)

enzyouin2izumi 昔は、泉が湧いていたという、清水の泉の公園では、しだれ桜が5分咲き。



itiriduka itiriduka2 志村の交差点には、志村の一里塚が両側にいい状態で残っていました。




takezaiku takezaiku2 takezaiku3 古い荒物やさん。竹細工や、箒など、懐かしい品が並んでしました。屋根の造りがおもしろく、五層になっています。ガラス戸の硝子は表面が少々ゆがんでいる昔のもので、、板の部分はちゃんと灰汁抜きして洗ってあるようでした。
todatodabashi  長い戸田橋を渡って、埼玉県蕨市に入りました。

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中仙道その2

中山道を歩くーその2です。hiratukazinzyadangoyasemizaka 今回は、お知り合いの方が宮司をしていらっしゃる上中里の「平塚神社」から板橋までを歩きました。
平塚神社一帯は豊島郡の郡衛があった所で、平安末期に豊島近義がここに平塚城を築いています。「平塚明神縁起」によれば、後三年の没(1083~1087年)の帰途、平塚城に宿泊した源義家・義綱・義光の三兄弟が近義の厚いもてなしに感謝し、鎧一領と十一面観音像を下賜したそうです。由緒ある神社に参拝して出発です。
浅見光彦ミステリーシリーズ(作家は内田康夫)に出てくる平塚神社です。神社の鳥居近くには、浅見光彦の好きな団子屋「平塚亭」があります。宮司のお話では、この店で売っているお稲荷さんは、その日の気分で味が変わるそうです。

古河鉱業に父が勤めていたので、ちょっと感慨を込めて旧古河庭園を見学。
六義園の横を、紅葉を眺めながら巣鴨まで歩きました。
巣鴨の刺抜き地蔵の通りは相変わらずの賑わい。いろんなお店を冷やかしながら、買い物をしてお寺の境内で昼食。furukawa rikugien zizoutorikouganji

 



1つだけ残っている都電・三ノ輪線(庚申塚駅)の踏切を渡り、途中「亀の子束子」のメーカー西尾商店の前をとおり、板橋宿まで歩きました。来年、中山道 400年祭があるそうで、中山道1番の宿場「板橋宿」の観光センターの職員の方の熱いお話を聴いて、バスで池袋に出ましminowasenた。kamanokotawasiitabashi-3itabashi-2








都電・三ノ輪線は、統合されて現在「荒川線」となっています。
(2005年11月23日の街道を行くです)

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中仙道その1

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8月の終わりに、中山道・軽井沢宿から追分宿(中軽井沢駅から御代田駅)まで歩きました。
中山道は、日本橋から京都まで69次。東海道のように大井川、浜名の渡し、桑名の渡しなど水による困難がほとんどないので、女性の道中に好まれることも多く、幕末の和宮の降嫁がこの中山道を利用した道。(東海道にも姫街道という、険しい山、川を迂回した道がありました。)軽井沢のあたりが、新潟に向かう北国街道との分岐点にあたります。
名称の由来は、日本国土の中間の山道ということで中仙道とも記されたが1716年、徳川幕府は中仙道を中山道と名称を統一した…ということです。



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左から、浅間山、堀辰雄記念館、追分宿の油屋旅館、御代田の一里塚、追分の高札場

matumisi hakusanfuro oyamarindou komakusa yamarakkyou yamahahako sakudaira 三方ヶ峰から佐久平を望む

翌日、池の平湿原に行ってきました。いろんな花が咲いていて名前を知っていれば楽しいのに思いつつ…。久しぶりのハイキング、お天気もよく、遠く佐久の街並みを見渡せて気持ちのよい1日でした。写真の花は、左から、まつむしそう、はくさんふうろ、おやまりんどう、こまくさ、やまらっきょう、やまははこ(忘れないように)

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