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お盆休みに

Kamakura1鎌倉は夏がいいと思っています。海の方は海水浴の人々でにぎわっていますが、我が家は山の方なので、静かです。青い空に緑の山を眺めつつ、「暑い!」の一言。西側に山を背負っているので、午後1時を過ぎると日が陰って、涼しくなります。西日が当たらないだけましですが・・・家事を一仕事終わるとシャワーを浴び、・・を繰り返す夏休みの1日です。

Takiya4Takiya1Takiya2Takiya5Takiya6        旧盆の13日、長岡市越路町にお墓参りに行きました。今回の中越沖地震では、あまり被害は無かったようです。浄土真宗の菩提寺の本堂の修復や庫裏の再建築も終わっていて、お寺もお盆とあって、にぎわっていました。菩提寺は、800年ほど前に建立された寺で、前回の中越地震のとき、新幹線が脱線した場所のすぐそばにあり、本堂は柱がずれる程度で済みましたが、庫裏は全壊でした。滝谷山・了明寺の名の元になった裏山の滝も元通り流れ落ちていて、鯉のいた池も瓦礫が除かれ、水を湛えていました。本堂の彫刻は、傷みもなく健在でした。
昨年、来たときは、小学校の庭に仮設住宅がたくさんあったのですが、それも取り払われており、町の中は、新築の家が多く、復興が進んだことが伺えます。柏崎とは30kmくらいしか離れていない場所なので、今回の中越沖地震でも結構揺れたそうです。小千谷市の一部では、前回の地震で壊れて修復した壁が今回も崩れてしまった家もあるそうで、天災はこわいですね。

ここで、浄土真宗の教えについて、聞きかじったことを少々・・・

浄土真宗では、疑うことなく「南無阿弥陀佛」を唱えればよいというのが教えのようです。信者は、他宗から「門徒もの知らず」といわれて、礼儀作法をしらないと揶揄されていたようですが、これは、教義の問題というよりは、葬送儀礼や仏事作法など習俗に関わる場面で、地域社会との交流のなかで生まれる言葉であり、習俗に従わないことを他宗の信者より指摘された時など、あえて対立するよりは「門徒物知らずですから」と自ら認めて習俗とは距離を置く場合も見られるということだそうです。
また、墓石の下の甕の中に骨壷に入れずに、みな一緒にお墓へ納骨します。聞きかじりの知識ですが、倶会一処(くえいっしょ)といって、「阿弥陀仏の極楽浄土に往生したものは、浄土の仏・菩薩たちと一処で出会うことができる、」という意味だそうで、この教えに基づいて、納骨も1つの甕に入れるというしきたりになったということです。お墓の土地を手に入れることが難しい世の中になってきましたから、合理的かもしれませんね。また、百科事典によると・・浄土真宗においては、「死者の祟り」という概念は無い。これは、この世で死者となった瞬間に仏として極楽浄土に生まれる(往生即成仏)とされているため、霊魂として現世でさまよう様なことはないと考えるためである。・・・そうです。
親鸞は、合理的な考えの持ち主だったのかもしれません。

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鎌倉の夏(2007年)

旧盆の行事はいろいろありますが、ぼんぼり祭りに始まって、覚園寺の黒地蔵、花火など、町内にある神社でのお祭りもあり、なかなかにぎやかです。

200708071907000H8H18H19    鶴岡八幡宮の源平池の蓮が咲き始めると夏本番。海には、海の家が立ち並び、人々は、海の方にいってしまうので、我が家のある山沿いは、静かになります。源平池の蓮は、源氏・平家にちなんで、赤と白に分かれていたようですが、今は、赤白混じって咲いています。朝4時ごろ行くと花の開く音を聞くことができるとか、以前、行ったことがあるのですが、残念ながら、音は聞けませんでした。

ぼんぼり祭りでは、その年のぼんぼりの絵をかいた著名人の作品から、団扇を作って売っています。今年は、中島千波の作品でした。平成8年の横山隆一の「ふくちゃん」、昨年の平山郁夫の作品など。
ぼんぼりの絵には、一般の人々も参加して毎年、盛況です。

花火は、結構行くのですが、今年はテレビでみました。

Photo 40年近く、鎌倉に住んでいて、今年、初めて行ったのが、覚園寺の黒地蔵縁日。8月10日の午前零時から、正午まで、黒地蔵は御開帳になります。この日は、4万六千日でもあります。境内は暗いので、足元を照らすためのちょうちんを売っています。夏の初詣といった雰囲気で、結構な人出もありました。暗い境内の黒地蔵と、薬師如来、日光月光菩薩、覚園寺では、有名な十二神将など拝観して、午前1時ごろ帰りました。黒地蔵の安置されているお堂には、黒地蔵の周りに千躰地蔵があるのですが、じっと見ていると、千躰の内の1躰がその年亡くなった人に似ているお地蔵様に見えるという言い伝えのあるそうです。久しぶりに行った覚園寺。ご住職が変わってから、すっかり雰囲気が違っていて、少々がっかり。昔の深山幽谷の感じがなくなっていました。先代のご住職は、頑固で怖い方でしっかり昔の面影を守っていらしたのですが・・・・御朱印をいただいてきました。

覚園寺について:
覚園寺(かくおんじ)は、神奈川県鎌倉市二階堂にある真言宗泉涌寺派の仏教寺院です。山号を鷲峰山(じゅぶせん)と称する。本尊は薬師如来、開基(創立者)は北条貞時、開山(初代住職)は智海心慧(ちかいしんえ)。
地蔵堂-愛染堂背後に位置する小堂。本尊は黒地蔵の通称がある木造地蔵菩薩立像(鎌倉時代、重要文化財)である。本堂の薬師三尊、十二神将も重要文化財
地獄で苦しむ亡者を救おうと、鬼卒に代わって火を焚くので、何度塗り替えても黒くなってしまう伝説からきているそうです。

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中仙道その8 (2007.7.17)

安中から松井田まで
今回は、参加者7名。本当は、月曜日はお休みのなのですが、お願いしてあった安中教会を見学できることになり、楽しみに出かけました。

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安中の駅を下りると、まず目に入るのは、カドミウム汚染の原因企業の東邦亜鉛の工場。

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安中というと公害しか思い浮かばなかったのですが、古くからの中仙道の宿場であり、安中藩士で、キリスト教の布教家、新島譲の実家があるところ。大谷石で作られた安中教会は、1919年(大正8年)、帝国ホテルの5年前に建築されたものです。新島譲没後30年を記念して、湯浅治郎(有田屋さん:醤油製造)の尽力によって建てられた教会です。五味牧師が、教会の沿革など、建物についての細かな説明をしてくださいました。この日はお天気もよく、とても暑かったのですが、内部は、涼しく、小川三知作のステンドグラス、新島譲やこの教会に尽力した人々の肖像画が飾られていて、一見、カトリック教会を思わせるつくりになっています。1階部分に使われている木材はカナダから取り寄せたものだそうです。この日、ちょうど、柏崎でおきた中越沖地震に遭遇して、そのとき教会の中にいたのですが、震度4くらいのゆれを感じました。ちょっとびっくりしましたが、建物はびくともしませんでした。大谷石で作られているのですが、要所に御影石を使って、大谷石のもろさを補っているそうです。

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その後、安中市内へ。今回の参加者Mさんの友人でもある有田屋さんの奥様のご好意で、休日にもかかわらず、工場の中をちょっと拝見させていただきました。そして、息子さんが開発されたという絶品のお醤油:復刻版フコク醤油をお土産にいただいて、松井田まで、がんばって歩きました。安中は城下町だけあって、古い立派な家並みがそこかしこに残っています。杉並木もありましたが、ほんのちょっとの距離でした。西松井田まではちょっと遠いので、本日は松井田までということで。次回の碓氷峠超えにつなげることにしました。

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ことしの梅干

なんと、8月になってしまいましたがようやく、梅雨があけて、3日3晩、梅を干しました。2日目の夜は、危なそうなので、家に取り込んだら、間一髪!ものすごい雨音がして・・・胸をなでおろしました。不作の年とはいえ、30kgくらい収穫。ご近所では1個も実らなかったというお宅もあるというのに。大きい甕2個、小さい甕1個にいっぱいに入り、また、3年ほど寝かします。
昨年、一昨年のものとあわせて、我が家の梅干は、多分6個の甕になりました。狭い家なので、このような保存食を収納するために、いろんな場所においているため、もしかしたら、どこかに忘れられた甕が眠っているかも?とんでもないところ?(押入れなんて?)から出てきたら、どうしよう!

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中仙道その7 (2007.5.3)

高崎から新町まで。

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本当は、新町から歩く予定だったのですが、私が時刻表を見誤ってしまったため、大宮で乗る予定の電車がなく、新幹線で高崎に出て、逆向きにあることになってしまいました。
逆に歩くというのは、結構わかりにくいもので、道は上方に向かって作られているのを実感。そんなこんなで写真の数が少ないのです。とはいえ、本陣、脇本陣、高札場のあとは、ちゃんとチェックしました。

途中、中仙道(江戸へ)と日光街道(例弊紙街道)の分岐点を抜けると新町まで、川沿いの土手を、久しぶりに黙々と歩きました。このところ、結構のんびりムードで歩いていたので、川風に吹かれながら、本当に黙々とあるいて、今日一日で3万歩近く。

さて、新町に入ると洋品屋さんのガラス戸に「世界遺産」のポスター。これはなんだろうとたずねてみると、この町は、絹糸紡績の発祥の地、カネボウフーズの新町工場内に、「新町屑糸紡績所」(煉瓦つくりの倉庫と木造の工場)があるそうで、世界遺産に登録を・・・という運動が起きているそうです。最近、いろんなところで世界遺産申請の運動をおきているようですが、どうなんでしょうか?この洋品屋さんのおばさんは、大きい工場だけど、ぼろぼろだよ・・・と・・・残念ながら、時間がないので、工場見学はあきらめて帰路につきました

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中仙道その6 (2007.3.21)

深谷から本庄まで

Fukaya1Fukaya2 深谷は、レンガの町:渋沢栄一生誕の地。レンガ造りに適した粘り気のある土を生かして日本煉瓦製造会社を創設。・・・と駅に書いてありました。いまでも、煉瓦を生産しているそうです。そんな町ですから、煉瓦つくりの家や建物がたくさんあります。駅舎は、東京駅を模して、煉瓦つくり風のようですが、新しいものです。

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途中、3階建の変わった倉庫を見つけました。扉をたたいてみると中から人の声、ここで、ライブをやるという若者たちが準備作業中でした。中を見せてほしいという要望に、快く応えてくれて、「こんなところ見たいという物好きな人もいるんだね」と。この建物は、金物製造のお店の倉庫だったらしく、むかし、よく見かけた空気抜きの煙突の先についていたカラカラと音を立てて回る飾りがおいてありました。2階、3階は、出荷するはずだったのが、やめになったのか、包み途中のものなど、使わなくなって、ほおりっぱなしの品がたくさんおいてありました。

ちょうどお彼岸の中日だったので、お菓子やさんは、お供物を買う人たちで行列、ちょっと興味をそそられた翁最中は、残念ながら買えませんでした。(私は、大の最中好き)

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Fukaya11 百庚申: 万延元年(1860年)桜田門外の変のあった年に作られた

本庄駅近くに、旧本庄警察署(本庄市歴史民族資料館)があるので、覗いてみたところ、壁の塗り替え作業中で、休館。作業している人に声をかけたら、「鍵は開いているから、中を見てきてもいいよ・・・」とご親切に言ってくださったので、そこは遠慮のない旅人、しっかり館内を見学してきました。
ここは、田村本陣跡で、門だけが残っています。(工事中だったので写真はなし)

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お水取り(2007.3.14)

初めて、お水取りに行きました。

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まず、女人高野・室生寺に。修復なった五重塔を拝観。国宝の金堂、重文の阿弥陀堂など、苔むした山奥の伽藍を回りました。3月とはいえ、結構寒かった気がします。門前では、「陀羅尼輔」を売っている店が並び、1袋買って来ました。腹痛には良さそうな気がします。主原料は、「キハダ(黄柏)」の皮。万病に効くということですが、薬事法により、胃腸専門薬となったそうです。

Nara9Nara10 そして、夕方、奈良に戻り、いよいよ、お水取り。6時ごろ二月堂に行ったときには、すでにたくさんの人が集まっていました。3月14日は、最終日、お松明がつぎつぎに練行衆の尻を焦がすほど接近して上堂するということで、「尻焦がし」とも言われているそうです。二月堂の回廊に十本の松明が並んで、火の粉を降り落として圧巻でした。二月堂の前にある杉の木が邪魔で見えないと思っていたら、この杉の木は、東大寺の開祖良弁にまつわる大事な木だそうです。翌日、なにかいいことがありますようにと松明の燃えかすを拾いにいきました。

Nara4_2Nara17Nara11   さて、その日の宿は、菊水楼!お食事も、設えも結構なものでした。お水取りにつかわれた椿「糊こぼし」が飾ってあり、料理長のパフォーマンスもあって、お水取りの宵にふさわしく、華やいだ夕食になりました。このお水取りに使われる「糊こぼし」は、紙で作られており、糊をこぼしたような模様なのでこのように呼ばれているようです。この椿は、東大寺開山堂の基壇のそばに植えられています。お水取りの時期には、咲いていないので、練行衆が造花を作るそうです。

菊水楼は、明治23年創業の料理旅館、館内は趣のあるつくりで、あちこち散策して回りました。ふすまの取っ手が襖絵とあわせてあり、とてもモダンな感じです。

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Nara18_2ご接待してくださった仲居さんは、美人で、なかなかの方でした。

Nara19 法隆寺によって帰路に着きました。何年かぶりに法隆寺に行きましたが、やはり、法隆寺は別格と感慨深く五重塔を見上げました。

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ローカル線の旅その2(2007.2.25)

Katuura3Katuura1Katuura5 Katuura2 Katuura4   廃線になりそうだというので、銚子鉄道に乗りに行きました。そして、勝浦の江戸時代から続いている旅館「松の家」に泊まる予定だったのですが、この週、勝浦はひな祭り一色、宿は別のところにして、昼食を「松の家」さんでいただくことにしました。勝浦のひな祭りがこんなにすごいとは知らずに計画。行ってみてびっくり。町の至るところにお雛様が飾ってあります。八百屋さん、遠見岬神社の境内の60段の石段(1200体も!)、お寺、住宅の玄関などなど、メイン会場の市民会館には、1万体以上のお雛様が飾られています。

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Choshi6Choshi7 Choshi8_3   翌日いよいよ銚子鉄道に乗って、外川まで。地球の丸く見える展望台は、風が強く、まさに銚子にきたな・・・という感じ。銚子鉄道の起死回生をねらった「濡れせんべい」を食べつつ、電車に揺られて、銚子に戻って、創業385年のヒゲタ醤油(業務用はほとんどヒゲタだそうです)の工場を見学。お土産にお醤油をもらって帰ってきました。工場見学もなかなか面白く、説明の映画を見るために、最初に案内された講堂は、かなりレトロな感じでした。

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ローカル線の旅その1(2006.11.23)

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なぜかいい町一泊旅行(池内紀著)を友人から借りて読んだのですが、この本に出てくる町で、4箇所(斜里、金山、登米、三春)行ったことのある町がありました。大多喜が5箇所目。
ローカル線に乗るのがすきな仲間と行ってみようということになって、はじめた旅です。

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千葉県の五井駅から、小湊鉄道、夷隅鉄道と乗り継いで、大多喜にある100年続いている旅館「大屋旅館」に泊まるのが、今回の旅。

Ootaki8 Ootaki9 大多喜は、お城のある町で、初代城主は本田忠勝。
城址内には、復元?された天守閣(博物館になっている。本当は天守閣は無かったらしいのですが)、千葉県立大多喜高校があります。高校の敷地内には、日本一の大井戸(周囲10m、深さ20m、今でも水を湛えている)、薬医門などがあります。ちょうど、部活中の生徒に道を尋ねたら、挨拶もすがすがしく、まだ、日本の高校生も捨てたもんではないな・・・と安心しました。
Ootaki7Ootaki6市内には、国の重要文化財・渡辺家や、古い家並みが残っており、なかなか風情のある町で散策を楽しみました。この日の宿の大屋旅館は、母、娘さんの2人で切り盛りしていて、泊り客が少なかったせいか、6人で3部屋、使わせてもらいました。テレビドラマの「砂の器」のロケに使われたり、時代劇などにも使われるようで、古い部屋を見せていただいたのですが、床がぎしぎし音を立てて大丈夫かな?とちょっと心配でした。帰りは、佐原に寄り道したのですが、夕暮れになってしまい、うなぎは食べ損ないました。佐原はまた、ゆっくり行ってみたいと思っています。

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